40→70 ギターでデビューする!

ヤマザキです。40歳でギターを始め、8年目に入ってしまいました(2021年現在)。無謀にも70歳までにデビューするという目標を立てているのだが、はたして……? 普段はライター業をしています。

命懸けが見たいよ、という勝手なファン気質。

「私、全日本プロレスに就職します」
1972年(1973?)、中央大学レスリング部で、ミュンヘン・オリンピックにも出場した
鶴田友美(後のジャンボ鶴田)の会見を、新聞が報道した言葉である。

日本のプロレス界は、大相撲出身の力道山が源流ということもあり、「入門」、「弟子入り」といった言い方が
普通だったプロレス界において、これは新時代の到来を告げる、エポック・メイキング的な発言だった。
それまで、入場するときはガウンを着て、という日本のプロレス界の常識を、
鶴田はジャンパーを身にまとい、そしてジャンピング・リングイン、という新しい、
どこまでも“アメリカン”なやり方で、覆していったのだった。

いわゆる、エリート。
エリートに、「本気」「必死」という言葉は似合わない。
実際、1980年代中盤くらいまでの鶴田の試合は、その高い身体能力にもかかわらず、
それを発揮できていない、どこか消化不良な試合が相次いだ。
マジでやったらスゲー強いんだけど、それを試合で出さない。
どこか、いつも余裕を持って闘っている。
そんなジャンボの歯がゆさに、ファンのイライラは募る一方だった。
彼と戦ったレスラー、例えば長州力などは、その底抜けの強さに舌を巻いた、と後に語っているのだが、
それはリング上からは伝わらないものだった。

本気になっていない。必死になっていない。
ジャンボが本気出したら、いったいどんだけなんだ!? という幻想ばかりが膨らんでいったのである。

逆にいえば、エリートだからこそ、そう思われるんである。


今日は、ジョシュア・レッドマンの新作「JAMES FARM」を聴いている。
彼も、鶴田と同じ、エリート(というか、サラブレッドなんだと思うが・・・)臭のするミュージシャンなんである。
父親は、やはりジャス・サクソフォニストのデューイ・レッドマン
ヤマザキは、キース・ジャレットの「生と死の幻想」でブッ飛んだクチである(あ、リアルタイムではありません・・・)。

まあ、息子は、親と比べられるものなんである。
確かにジョシュアは上手いと思うよ。
スゲーよ。どのアルバムも」ちゃんとコンセプトがあって。
私が生で観たのは、いつぞやかの東京JAZZで、ソプラノを持つ姿が、なんか日本の武士みたいで、
サクソフォンで闘ってんのか?? という印象だった。

だけど、スゲー! と思うからこそ、アルバムからはどっか余裕を感じてしまうんである。
もっと本気のジョシュアが聴きたい!
本気出したら、どんだけなんだ!?

ジョシュアにとっては父親のみならず、ジャズ・サクソフォンには
ジョン・コルトレーンという最大の巨人がいる。
コルトレーンのアルバムからは、命が伝わってくる。命懸けでやってんだろうな、この人、みたいな。

リスナーならではの、チョー勝手なリクエストかもしれないけれど、
命賭けてるジョシュア・レッドマンが聴きたいんすよね。。。

「JAMES FARM」も、どの曲もすごく練られているし、どの曲もすごいパフォーマンス。
だけど、1950~60年代の、その刹那に命をかける、というジャズ全盛時の音源に漂っている雰囲気が、
イマイチ伝わってこないんである。

やっぱり、どっかに余裕がある。
どう、コレ? みたいな。

なので、非常にワガママではあるのだが、今は聴いてても、一ヶ月後は??、という感じなんである。
スミマセン、、、


ジャンボ鶴田の場合、その怪物的強さが発揮されたのは、1990年代、
故・三沢光晴さんや、川田利明らを相手に回してからだった。
その後、すぐに身体を壊して、一線を退いてしまうのだが・・・。

ジャズ・サクソフォンの世界には、コルトレーンの呪縛がある。
ジョシュア・レッドマンがそこから開放されるのは、
その怪物生を、発揮できたとき。

それは一体いつなのか。
心待ちにします。

今日は、結構シビアでした。
スミマセン。

それでは、また。


※これ、プロレスネタ抜きで、こっそりとこちらに書きました。
 ひっそりと・・・・・・。