昨日は、東京・春・音楽祭のエリーザベト・レオンスカヤのシューベルト・チクルス第1日に行ってきました。
【曲目解説】4/4 エリーザベト・レオンスカヤ (ピアノ)~シューベルト・チクルス I の曲目解説を掲載しました→https://t.co/QaqpMrZKbP 当日券は18:15より 東京文化会館 小ホール 当日券販売所にてS席, A席を販売いたします。 pic.twitter.com/urundXYsXH
— 東京・春・音楽祭 (@tokyo_harusai) 2018年4月3日
レオンスカヤはジョージア・トビリシ出身のピアニスト。モスクワ音楽院で学び、ソ連を活動の拠点にしていたが、1978年にウィーンに移住。以降、世界中で活躍し続けています。
僕は何年か前にドイツのベルリンで彼女のピアノを聴いたことがあります。
会場はコンツェルトハウス。ホールのオケと共に、ベートーヴェンの〈皇帝〉を演奏したのですが、それがとっても素晴らしくて、今回も楽しみにしていました。
そして、東京文化会館小ホールの、割と前のほうで観れた彼女のステージは、まるで息遣いまでが聴こえてくる、とても印象深いものでした。
まず出だしの一音で自分の世界にググッと引き込み、そのままぐいぐいと緊張感を途切れさせることがなく、最後まで観る者、聴く者を捉えて離さない。演奏ももちろん素晴らしかったのですが、いちばん印象に残ったのは、その凛とした佇まい、存在感でした。
ピアノを弾く前から、舞台に登場しただけで、一瞬でその場の空気を変えてしまう。ただ楽器の技術云々ではなんともしようがない何かがありました。それは「凄味」というものかもしれません。この人はこれまでどのような人生を歩んできて、今ピアノを前に、どのような気持ちで演奏をしているのだろう。静かな、だけど深くて濃いエネルギーを放ちながらシューベルトと向き合う彼女の表情を見ていると、そう考えずにはいられませんでした。
そしてシューベルトのソナタは、自分はあまり聴いたことがなく、その歌心の表現の仕方がとても豊かでした。よくジャズとかの人がクラシック音楽の楽曲を演奏することで「表現の幅がとても広がる」と言うのを聞きますが、それはこんなところにあるのかも、なんて思ったりもしました。
さて。
自分はギターを習っていて、果たして何年後になるか分かりませんが、いつかひとりで人々の前で演奏を披露する、なんて時がきたら、彼女のような空気感を出すことができるだろうか。
ただ練習するだけでなくて、毎日何を思い、何を感じるか、そうしたことも音楽の大切な要素なのだ、という気がします。