仕事の関係で、樋口桂子さんの『日本人とリズム感 「拍」をめぐる日本文化論』を読みました。
僕的にはかなり面白く読めました。
日本人と西洋人では「相槌とうなずき方」がまったく逆(日本人は上から下へ、西洋人は下から上へ)ということに気づいたという冒頭のエピソードから、日本人のリズム感の特徴を深く掘り下げていく。
稲作に端を発する、上から下へという(鍬を使う)動作、重心を低くして自分の内に入っていくような動き。集団で一斉に動くため、動作に入る前に(せーの、ってやつですね)呼吸をいったん止めて、つまりリズムを切断する。この行為は演歌の世界にまで引き継がれていると。
対して、森の中で狩猟生活をしていて、とにかく素早く行動することが求められた西欧の人たちは、重心を低く力をためて(音楽でいえばアウフタクト)から一気に跳ね上がるという行為を続ける必要があった。そのため、リズムは途切れなく、まるで円を描くように連続する……。
ここのあたりの話は、昔、小泉文夫さんの本で読んだような気がします。日本人がみんなで円になって、いっせいに重心を低くして踊る(阿波踊りとか)のに対し、狩猟民族は男女が対になってアクロバティック(つまり下から上)な動作をもって踊る、というような話も。
昔、洋楽のリズムに日本の聴衆はうまく手拍子を打てなかったという話もよく聞きますね。
それで。
僕が特に興味を持ったのは、日本語には「あ(that)」、「こ(this)」のほかに、西洋の言語では言い表せない「そ」という言い回しがあること。あちらでもこちらでもない、その中間のようで、中間でないような、お互いの距離感を縮めるような、隔離するような。そして自分の深いところに入っていくような。この感覚は、言葉だけでなく絵画にも表れていて、ひいては日本人のリズム感を特徴づけているという……。
この感覚を代表するような言葉に「なつかし」という言葉がある。これは英語にはなんとも訳しにくいのだそうです。その訳せないというところが、なかなか埋められない文化の違い、となるのでしょう。
ボサノバなどブラジル音楽で語られる「サウダーヂ」という感覚も、日本語には訳しにくい、というか訳せない感覚だ、というのを聞いたことがあります。こういう、他の言語に置き換えられないものが、その民族の特徴となって、聴く人にとってはどこか不思議で、演奏する側にはどうしても越えられない壁のように立ちはだかっていくのでしょう。
最後に、いろいろ示唆のあるお話を読んだあとに、あとがきで、この本を書くことになった直接の(?)きっかけは、大人になってから始めたチェロのレッスンで、若い先生に「リズム感が悪い!」と烈火のごとく怒られたことだと告白されたいたのが、ちょっとお茶目でした(笑)。
そういえば、僕が最初に練習した『Mojo Hand』という曲。
この〝Mojo〟というのも、なかなか言い表せないようなニュアンスを含んでいるんだろうなぁ。
そして、この曲の歌いだし、リズムを食って入るのだけど、いまだにうまくできない。。
こういうちょっとしたところに、いろんな壁があるようにも思います。
まぁここは、ひたすら練習して、少しでも近づく努力をするしかないのでしょう。