昨日は、渋谷のオーチャードホールで
ウィリアム・バトラー・イェイツが、100 年ほど前、
日本の能の触発されて書いた戯曲『鷹の井戸』。
それは、時を経て、
50 年前に日本で能作品「鷹姫」となった。
そしてさらに時を経て。
日本とアイルランド国交樹立60 年の今年、
アイルランドから
ケルティック・コーラス・グループの
アヌーナを迎えて上演するというもの。
鷹姫を演じるのは梅若玄祥。
能の世界を西洋に広めるきっかけを作ったのは、彼の曽祖父である梅若実なんだとか。
なんともいろんなストーリーが交錯しているのだ。
さて、あらすじはコチラを見ていただくとして。
なんともいえない緊張感に包まれた、不思議な空間が生まれたのだった。
記者発表では、
「まだ何もかもこれからなのですが」と前置きしたうえで、
「お互いに妥協点を見つけるのではなく、全力を出してぶつかりましょう」
と梅若玄祥が言っていたのを思い出した。
「いままでの経験上、変にお互いに歩み寄るといいものが生まれる可能性は低いんです」と。
確かに、昨夜のあの緊張感は、
妥協点を超えて、その先にある何かをつかもうとする行為のなせるものだったのだろう。
あと、ストーリーでは、
クープリンは老人の若い頃の姿なのか。
物事はこうして長い時を費やしながら輪廻していくものなのか。
はっきりとした答えがないことの
幸福感を味わうことができた。
仕事とか、日常生活では何かにつけて「答え」を求めすぎる。
確かに答えは必要なのだけど、
ときには答えが物事を陳腐に、味気ないものにしてしまうこともあるのよねぇ、、
雑誌だってそうだよ。
まぁ、そんなところでそろそろ時間切れ。
今日はギターのレッスンに行く。