40→70 ギターでデビューする!

ヤマザキです。40歳でギターを始め、8年目に入ってしまいました(2021年現在)。無謀にも70歳までにデビューするという目標を立てているのだが、はたして……? 普段はライター業をしています。

いいカテゴリがわからんので、テレビ、にしときました。

突然ですが、テレビ、観てません。

特に、困ることは、ありません。
地震の時に、ネットだと情報サイトにアクセスしにくいくらい。
※コレ、大事、、ではあるのですが… 
  最近、毎日地震あるしね。。
 

テレビがないと、ドラマやタレントに疎くなるのはありますが、
そんなの、今に始まったことではないし。

「ワイルドだろぉ~」ってのも、
正月に実家に帰って、やっと憶えたはいいものの、
その知識を、今後の人生で、どう役に立てればいいのか、
まったくもって見当がつかなく、
家でビール飲みながら「ワイルドだろぉ~」とひとり呟いては
なんだかボーっとしてみるヤマザキです。

…………。

まぁ、いいや。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
ここ数日、暖かいっすね。


さて、『音遊人』最新号が出ました。ウィーン特集です。
紀伊国屋とか、ジュンク堂有隣堂でも売ってます。
よかったら、買ってね。

ウィーン特集は5年ぶり。
その5年前に、稀代の名ピアニスト、フリードリヒ・グルダ
パートナーだった祐子グルダさんと、
リンクのあたりをコンツェルトハウスに向かって歩いていたら、
スケートリンク閉鎖反対! 
の大きなデモ看板が見えました。

「あのスケートリンク、いま壊そうとしてるんだけどね、昔、日本からプロレスが来たの。
ババだかイノキだったか、忘れちゃったけど」

おぉ、ウィーンにプロレス!

その翌年だったか、とあるプロレスラーにインタビューする機会があった。
プロレスとは全く違う分野での取材だったのだが、
そこで、、、

彼「オレ、昔、ドイツに遠征修行してた頃にさ、、」
私「たしか、CWA でしたよね?
彼「あ、そうそう、オットー・ワンツの……っつか、アンタ、詳しいねぇ、、」
私「いえいえ、、、ところで、●●さん、ウィーンで試合したこと、あります?」
彼「あぁ~、あったなぁ、そんなの。。 
  スケートリンクがあってさ、そこにイノキさんとかフジナミさんとか、みんな来たんだよね。
  それでオレも呼ばれてドイツから行ったワケ」


CWA とオットー・ワンツについては割愛するとして、、、

祐子さん、、、
イノキ、でしたよ。。。

インタビューも、
その会話を境に、リラックスしたものになりましたとさ。

プロレスの知識は、
人生のどこかで、役に立つものだった、、

…………。

実は、学生の頃から、ベースボールマガジン社の『週刊プロレス』に、
ほぼ毎週、目を通しています。
当時、ターザン山本こと山本隆司さんが編集長だった頃の“週プロ”に
影響された同世代の編集者は、以外と多いんじゃないかしら? 
そんなことないかな、、?
私は社会人になっても、っつーか編集の仕事をするようになった現在でも、
当時の記憶がベースにあったりしますがね……。

いま、ウィーン特集で~す、なんて言って雑誌を見せると、
うわぁ、ステキ~!  キレイ~♪
なんて反応が返ってくるけど、
※それは当然、とても嬉しいことで、
  いつも力を貸してくれる、とても優秀で素敵なスタッフの
  方々のおかげ、なのですが。。

その“ステキな” ウィーン特集は、プロレス雑誌見て育ったヤツが、
隙あらば、どっかに週プロ的な(あ、あくまでも、的、ね)要素を入れてやろうと
虎視眈眈と狙いながら作ったモノだと知ったら、、、

つまり、一皮むけば、どこまでもプロレスチック。。。

みんな、どん思うんだろう、、、
考えてみるだけで、、、

ワイルドだ、、
ワイルドだろぉ~!!
※あの、、こうやって使えば、いいんですか??


まぁいいや。。
そんなこんななのだが、その週プロで、
ライターのフミ・サイトーこと斎藤文彦さん連載しているコラム
「ボーイズはボーイズ」が、大好きなのだ。
※斎藤さんは、香山リカさんの、ご主人ですね。

斎藤さんの書く文章が、好きなのです。
シンプルで、ロックで、温かい。
そして、レスラーたち(ボーイズ)への、愛が、じわーん、と伝わってくる。

私も、インタビュー記事とか、コラムとか、自分で書くときは、
いつも「フミさんみたいな、じわーん、とくる原稿にしたいなぁ」とか
「今回こそはフミさんみたいに仕上げるぞ!」と思って書き始めるのだけれど、、
まぁ、当然のように、そんなうまく事は運ぶワケもなく、
やってるうちに、いつもの、自分の、、しみったれた原稿になってしまう。
この十何年か、ずっと、その繰り返し。
ごめんなんさい、インタビューさせてくれた皆さん、、こんな拙い原稿しか書けなく。。


で、そのフミさんの連載は、この二週間、前後半に分けて、
力道山とメディア」がテーマでした。

イメージ 1

力道山がこの世を去って、
今年でちょうど、50年なのだとか。

いわゆる「昭和史」には
必ずといって出てきますね、
力道山とプロレス。

私も、大学のときに、
テレビメディアの歴史の授業で
彼の名前が出てきたのを憶えています。

映画『三丁目の夕日』でも、
当時出回り始めたばかりのテレビで
プロレスに熱狂するみんなの様子が
出てきますね。

でも、リアルタイムで力道山を見てる、って人も
少なくなっているんでしょうね。

私も当然、見ていませんが。



日本のテレビ放送がスタートしたのを期を同じくして、
アメリカからやってきた強豪を相手に戦う力道山の姿は
人々を魅了するワケですが、、

同時に、

日本の“敗戦国”としてのコンプレックスを解消し、
また、戦前から日本を支配していた、
西洋に追いつき、追い越せ、という攘夷論を再生産する
原動力にもなっていた、という。。

そして、

プロレスの興行は、テレビと新聞といったマスメディアが
プロデュースするメガ・イベントであり、
プロレスは、テレビを一般に広めるための「キラー・コンテンツ」として機能した、と。


それの、ひとつのクライマックスともいえるのが、
昭和29年の、木村政彦戦、ですね。

大相撲出身の力道山と、柔道出身の木村、
果たしてどちらが強いのか、
プロレスはショーなのか、真剣勝負なのか。
さまざまなキーワードで彩られた一戦は、力道山の圧勝に終わるのですが。


さてさてそこで、
そんな日本における力道山体験というのは、
ほんとうに以上に書いたようなものだったのか、
後からちょいと操作を加えて構成された、事後的なものである可能性はない?

プロレスって、そんなにカタいものだったワケ??
みんな、そんなコト考えずに、もっとリラックスして楽しんでいたんじゃない?

この、没後50年を機に、もういちど、みんなで考えてみませんか?
という問いかけだったのです。


そっか。
そういうのについて考えてみるのも、面白いなぁ、
と思っていたところに、
あの、丸坊主で謝罪、の映像が、
(私にとって)絶妙のタイミングで世間を駆け巡ったワケで。。
テレビでどれくらい騒がれたのかはわかりませんが、、
たしかその日は、
選挙へのインターネットの導入を検討する会議も始まったんだよね。。


んまぁ、そんなワケで、
まだまだ考えることだらけ、ということで。。


それで、参考映像(って書くと、マトモっぽいね…笑)。



週プロ黄金期を作った、ターザン山本

もうハチャメチャで、
こんな人と一緒に仕事したくねぇなぁ~、という
典型的な方ですが(笑)、、

所どころにスルドイことを
ズバっというから、始末に悪い(笑)。。





それで、いま、
いちばんライブで観てみたいのが、
このヨシヒコ(笑)。

プロレスをいまだに八百長だ何だっていう
レベルで語る人は、もういないと思うけど、
そういう人は、
この、あまりにもくだらない(いい意味で…)
試合を、試しに観てみてください。

何気にプロレスとは何か、すべてがある。。。



なんかダラダラと書いていたら、長くなってしまったので、このへんで。
明日から仕事、という方も多いと思います。

どうか皆さまにとって、よい一週間となりますように。