昨日の記事を書いていて、奄美のことを思い出したので、現地で唄者の先生に伺った話を、もう少し記しておこうと思います。
奄美大島の中心地、名瀬。考えたら、ちょうど1年前に行っていました。奄美の集落は、この写真のように入り組んだ入江の奥にあるところが多く、集落(シマ)間を移動することは、昔はとても大変ことだったようです。そのためシマごとに微妙に方言が異なり、そのシマの言葉で唄われるものを「シマ唄」と呼ぶようになったそうです。決して「島唄」ではないのですね。
いろんな唄を知ってこそ唄者
先生は、奄美大島の西部に位置する宇検村の出身。宇検は唄者の宝庫で、表には出てこない「隠れ唄者」もたくさんいるという。
「唄者とは、どこへ行っても、そして誰にどんな曲をリクエストされても応えるもの。知らない曲があるようでは唄者とは言わないの。いろんな唄を知って、その意味も知らないとね」
そのためには、とにもかくにもレパートリーを増やすことが必須。三味線も、ただ弾けるようになるだけではなく、唄に合わせられるようになって一人前。そのためには唄を知らないといけない。
先生は、昨今の民謡大会の存在に危機感を持っていました。
「今の若い子たちは、大会で唄う曲しか練習しないからね。それだと、せっかく優勝していろんなところに行って、じいちゃんやばあちゃんから『あれ唄って』とお願いされても、唄えないじゃない。唄を知らないんだもの。まず曲を覚えて、その中から大会でやる曲を集中して練習すればいいのに」
先生は、自分が知ってる80曲ほどのレパートリーを、後世に伝えるために譜面にして残す作業をしているところだ、と言っていました。だけど、本来、シマ唄は聴いて、見て覚えるもの。記憶力がものをいうのだそうです。
記憶力、と聞いて、今度は6年ほど前に訪れた、スペインのアンダルシアでのことを思いだしました。
楽譜に頼ると心をなくしてしまう
アンダルシアはスペインの南の端に位置し、もうアフリカとは目と鼻の先です。音楽でいえば、フラメンコの中心地として知られています。
セビリアをはじめ、いくつかの街を訪ねましたが、思い出したのは、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでのこと。お酒が好きな人は、ティオ・ペペ、つまりシェリー酒の街としての印象が大きいかもしれませんね。
フラメンコの聖地としても知られていて、日本を代表するギタリスト、沖仁もこの街で修行したといいます。
そこで訪ねたギター教室。アンダルシアだからといって、誰もがギターを弾けるというわけではなく、教室には子どもからプロを志す若者、そして定年後に憧れだったギターを始めたい、という年配の方まで幅広い層の生徒さんがいました。そのへんの事情は、日本とあまり変わらないのかもしれません。
そこで先生にお話を伺うと、こんなことを言っていました。
「ギタリストにとって必要なものは4つある。右手、左手、リズム感、そして記憶だ。特に記憶は大事で、教わったことや経験したことを憶えておくことの他に、楽譜を持たないことも重要だからだ。楽譜に頼ると、心(ハート)をなくしてしまうからね」
シマ唄とフラメンコ、どちらにしても、この曲(唄)を、と言われたときに自分の中からスっと自然に音が流れ出てくるようになるまで練習を重ねるのだ、と教えてくれているような気がします。
世界中どこに行っても、伝統的な音楽というのは、どれもそういうものなのかもしれません。ブルースだって何だって、そうなのでしょう。改めてそう思いました。
道はまだまだ長いですね。日々、練習を続けていくしかありません。