「ビートルズっていえば、『ストロベリーなんとか』ってのがあったよなぁ」
10年前、病床で父親がふと言いました。
がんでもう先が長くない。そんな状況で見舞いに行った際、僕がリヴァプールやロンドンに行って、ビートルズに縁のある場所を見てきたという話になったとき、そんな言葉が出たのです。
父は大工一筋。普通に家でも音楽の話など彼の口から出てくることはなかったので、びっくりしました。逆にいうと、そんな彼でも知っているビートルズの存在もすごかったんだなぁ。もっとその話を、父が元気なうちに聞きたかった。
さて。
これの続きのような、そうでないような。
このときの旅行は、ロンドンの前にリヴァプールを取材しました。ちょうど翌年にリヴァプールが欧州文化首都になるというので、その宣伝、ということで。
そこでビートルズ関連の場所、ストロベリー・フィールドにも行きました。近くにはジョンとポールが出会ったという教会もあって。郊外の、緑に囲まれた住宅地。みんなストロベリー・フィールドの門とか、その場所の写真はたくさん見るけど、実はその周辺が美しい。そんな印象を持ちました。
しかし、写真のデータをなくしてしまったのが本当に悔やまれる……。
その後もロンドンには何度か行っているけれど、なぜか写真データは何らかの理由で消えてしまう。この写真は「フール・オン・ザ・ヒル」で歌われているというプリムローズ・ヒル。
父が言ってたのは、『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』。1967年にリリースだれた楽曲。実はいま久しぶりにビートルズのオリジナルを聴いたのだけど、改めてすごいなぁ、と。オケの使い方とか新鮮だし、それぞれの楽器がそれぞれ面白いことをやってるし、テープの逆回しとかも。
ところで。
曲とは関係ないのだけれど、父はいちごが大好きで、当時も母が買ってきた「あまおう」を食べていました。実際は、もう普通のご飯が食べられなかったという事情もあります。母が買ってくるのは、必ず「あまおう」。姉が見舞いで違う(安い)いちごを買ってくると「お父さんに安いいちごを食べさせるなんて」と怒っていました。
「死ぬ前に今年の桜を見たい」と言っていた父ですが、結局その夢は叶わず、2月の寒い日に、南房総の空へと消えていきました。
僕はその後ギターを始め、ビル・フリゼルが弾く「ストロベリー・~」をよく聴きます。
もう最初のハーモニクスから美しくて、すっかり音の世界に引き込まれてしまいます。
ライブで、「イン・マイ・ライフ」からのメドレー。もう本当にカッコいい。。ビートルズ・ナンバーという有名すぎる曲でも、ちゃんと自分の中で消化して、しかとしたビル・フリゼールの世界としてアウトプットしているのが素敵。だけど最後はちょっと、リバースエコーみたいなの? エフェクターでテープの逆回しっぽいことをやってるのがお茶目だなぁ。
とにかく。
僕のギターはまだまだ幼稚で、こんな境地にたどり着けるか分からないけれど、いつか、この曲を弾けるようになって、父の想い出へのひとつのけじめとしよう。
このブログのタイトルは、69歳でこの世を去った父よりも長く生きる、という密かな決意表明でもあるのです。
まぁでも、とにかく練習しなくちゃねぇ……。