今日は、ビル・フリゼール・トリオの公演を観に、BLUE NOTE TOKYO に行ってきました。
仕事の都合で行けるかどうかは最後まで分からなかったのですが、最後はえいやと当日予約してしまい……(笑)。
まぁ、とにもかくにも、観られたのです。
約 90 分間、ほぼノンストップ。MC も最初のメンバー紹介以外、一切なし。
潔いまでに音楽に集中するエネルギーに凄みを感じました。
で、印象です。
ビル・フリゼールの音楽は、実は彼一人(つまりギター)だけで完結できるものだと僕は思っているのですが、公演ではほかの二人にも活躍できる空間を与えているように見えました。
言い方を変えれば、曲の中からフリゼールがエッセンスを抽出し、空いたスペースにドラムとベースが更なる彩りを与えていくような。
つまりは、大人な 3 人だったともいえます。
ベースのトーマス・モーガンとドラムのルディ・ロイストン、クールで素敵だったなぁ。
昨年観たジュリアン・ラージが、もう隙もないほどに思いっきりヤンチャをしていたのと対照的だな、なんて思ったりもしました。
まぁ、フリゼールもリバースディレイとか、そういうところでヤンチャしていたようにも思います(笑)。
さて。
先ほどフリゼールがエッセンスを抽出、と書いたのですが、そう思ったのは、先日インタビューした、鈴木大介さんの言葉が印象に残っていたから、かもしれません。
訳の分からない音楽でも「いちど構築したものを分解して訳が分からなくなった」ものと「最初から訳の分からないものを並べてしまう」のとでは音楽にかける手間暇も違うし、もちろんクオリティにも差が出る、みたいな話だったのですが、そのエピソードを思い出してしまいました。
つまりは、フリゼールもいちど音楽を構築して(どうやって音楽ができているかを理解したうえで)エッセンスを抽出した結果、彼の音楽的キャラクターが出来上がり、それがしかと土台としてあるので音楽の芯が揺るぐことはないし、共演者の色を引き立てることもできるのではないか、と。
そう考えると、深いなぁ、と思うのです。
決して多くはない音数の中に、ブルースを思わせる陰りがあったりとか、過去の楽しい思い出のようなキラキラ感があったりとか、同じフレーズを繰り返すことでファンキーな色を出したりとか。
彼のギターから生まれてくる音の表情は無限なように感じました。
いいものを、観ました。
このインパクトが残っているうちに、また練習に励むことにしようと思います。
終演後。エフェクターまでたどり着けなかったけれど、ギターを遠目から。ボディはテレキャスだけど、ピックアップはダイナソニックみたいなのが付いていて。よく見るとヘッドの形がテレキャスではない。
まぁ、分かったところで彼と同じ音は出せないので、深く追求しなくてもいっか……(笑)。