昨日は、ジュリアン・ラージ・トリオの来日公演を観に、丸の内の COTTON CLUB に行ってきました。
今年発表されたアルバム『Mordern Lore』がとっても素晴らしかったので、その中の曲や、今やすっかり彼の代名詞的なギターとなったテレキャスター(正確には Nacocaster というギター)のサウンドを間近に感じられるのを楽しみにしていました。
さて、本番ですが。
いやもう正直、ここまでやるかというほどに素晴らしい演奏でした。
アルバムの曲や、前作『Arclight』からの曲もあったと思う。古いアメリカの音楽をベースとして、そこからフリージャズだったり、もっと前衛な、まるで現代音楽ともいってもいいようなところにまで、どんどんフォームを変えて突き進んでいく。ラージを支えるベースのホルヘ・ローデール、ドラムのケニー・ウォルセンも臨機応変で素晴らしい……。
そして思わず唸ってしまったのが、どんどん遠くまで行きつつも、途中でふっと「今はこの曲を演奏しているんですよ」と、オリジナルに戻ってくる。そのタイミングが絶妙なんだよなぁ……。そして再び実験的なインプロヴィゼーションに戻っていく。
もう「やりたいことがたくさん!」と言わんばかりに、アイデアの大洪水。約 1 時間半のステージは、3 人による壮大な実験の場だったのだ、と思えるほど。
終演後、ギターをパチリ。フェンダーのアンプに、エフェクターも入れたけどそれが何なのかは知識がないので分からず……。まぁ、知ったところで自分が試せるわけでもないからいいか(笑)。
そうそう、ギターのサウンドはライブで聴くとやはりぶっといな、と。低音弦のドライブ感はやはり普通の(?)ジャズでは感じずらいもので、現在のラージのトリオを特徴づける大きな要素になっていると思われ。あとピッキングのニュアンスのつけ方や運指のスムーズな感じは思わず見入ってしまう美しさだけど、まぁ、自分が生きているうちは真似できないな……(涙)。
そんなこんなで。
もう瞬きも許さないほどの凄い演奏だったのだけれど、終演後、ふっと我に帰ると、何かが足りないような気も……?
このあとひとつだけピースが足りないような感覚は何だろう? と帰りの電車の中で考えていたのですが。
たぶん。
アイデアが次から次へと湧き出てきてどんどん演奏が変わっていく、まるで回転体のような演奏だったのですが、そこに僕の感情が入る隙がなかったんだ、と。
要は完璧過ぎるというというか、弱さが見えないというか。
一時期のオカダ・カズチカのようだったのです(すみません、オカダについてはググってください……)。完璧過ぎて、感情移入ができない、みたいな。果たしてこのような音楽に感情移入が必要なのか、というのもあるかとは思いますが。
願わくば、自身のトリオで暴れまくる(?)ラージは体験したので、今度は歌伴なんかも見てみたいなぁ。。
ガールフレンドのマーガレット・グラスピーのサイドにいると、とっても色っぽいギターを弾いている。この色っぽさは「隙」から出てくるものなんじゃないか、なんて思ったりするのです。
まぁまぁ、凄いものを観てしまったから、次へのリクエストも次元の高いものになるという。。
リスナー、オーディエンスというのはなんて我儘なのでしょう。
でもそれが、リスナーの特権でもあると思うのです。