40→70 ギターでデビューする!

ヤマザキです。40歳でギターを始め、8年目に入ってしまいました(2021年現在)。無謀にも70歳までにデビューするという目標を立てているのだが、はたして……? 普段はライター業をしています。

積み重なった人生を、なんとか前に進めるように ―― Grandfather's Waltz を聴きながら

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

自分が酒好きなのは、確実に祖父の影響だと思います。

ちょっと外出すると、帰りにどこかで一杯やっていきたくなる。帰ってきたらきたで、一杯やりたい。実家にある仏壇の前に立つと、自分の顔は、特に口元が祖父にそっくりだ。その口で酒を飲むんだ。

まぁ、祖母にもそのほかの親類にも似ているが。それが血というものなのでしょう。

 

僕は 3 つか 4 つのときに、それまで住んでいた千葉県の船橋から祖父の家(今の実家)に引っ越しました。それまで東京での暮らしをずっと続けていた母親にとっては、そりが合わなかったのでしょう、彼女は祖父のことを嫌っていました。いや、そう見えただけかもしれないけれど。とにかく、僕には祖父の悪口しか言わなかった。今から思えば、そうすることで慣れない生活のストレスを発散していたのかもしれません。

 

しかし、そういうマイナスなことばかり吹き込まれると、幼い僕は祖父に対して良い感情を持てなくなる。だからあまりコミュニケーションは取らなかったのではないか。あまり記憶にない。

 

僕が小学 4 年のときに亡くなった祖父。その日、僕が小学校から帰ってきたら、父が白い顔をして布団に寝かされた彼の髭を剃っていました。その光景だけはいつまでも僕の脳裏に焼き付いています。それから四半世紀ぐらいたった寒い冬の日、その部屋で今度は父が白い顔で寝ていました。僕には彼の髭を剃る機会はなかったのは、ずっと付き添っていた母が、毎日、父の世話をしていたからでした。

 

毎日、どこかで飲んで夜中に帰宅していた祖父。喧嘩して血だらけに帰ってきたこともある。理由を家族で問うても「寂しくなるから」と何も言わない。僕が学校で家族の戦争体験を聞いてきなさい、という宿題を持ってきても、戦時中はフィリピンに赴任したという彼は「俺はひどいことをたくさんしたから」と何もしゃべってくれませんでした。まだ戦争が終わってから 30 数年。戦争体験者が周りにはたくさんいました。

いま、40 代半ばになった自分は、祖父はどういう気持ちでいたのだろう、とよく考えます。酒を飲んで、変えようのない過去とひとり静かに対話し、受け入れる努力をしていたのだろうか。いまとなっては分かりようがありませんが、生きていれば、いろんな過去が積み重なって、何かと心が重たくなるときもある。

さぁ、今日も一杯やろうか……。

 

さて。その前に。

四半世紀ぶりに、Grandfather's Waltz を聴きました。

 

youtu.be

ビル・エヴァンススタン・ゲッツの共演盤に入っています。当時ジャズを聴き始めたばかりの僕は「おぉ、この 2 人が一緒にやってるんだ!」と思って思わず買ってしまいました。お茶の水ディスクユニオンだったと思います。

FIRST TIME EVER

FIRST TIME EVER

 

 

キレイな曲だなぁ、と当時も思ったけど、今聴くと、ゲッツもエヴァンスもキレッキレ。エルヴィン・ジョーンズのドラムがまたグルーヴィーで、攻撃的ではないやり方で 2 人をあおりまくっているように聴こえます。

優しそうな表面の中には、怒りや哀しみややるせない想いなど、数えきれないくらいの感情が詰まっているようで。自分も昔より冷静になって聴いているはずなのに、なぜか切なくなってしまうのでした。

 

特にギターが入っているわけではないけれど、こういう音楽をいつかギターで表現できたら、、なんて思ってしまいます。生きているうちに……。

 

そういえば、実家の仏壇には、三味線の竿と糸巻きが、そっと隅のほうに置かれています。祖母が、たしなんでいたようです。彼女は僕が生まれるはるか前にこの世を去っていて、いまでは仏壇の写真からしか生前のことを窺うしかありません。

 

さぁ、今度こそ、一杯やろう。

エヴァンスとゲッツのアルバムを聴きながら。

積み重なった人生を、なんとか前に進めるように。