先日、自分が書いた記事の掲載誌が送られてきて、見て思ったことがあります。
自分の書いた原稿がカタチになってくるのを見る瞬間はいつも嬉しいものですが、同時に、ちょっと不安で怖い気持ちもあります。
原稿が、跡形もなく直されていたらどうしよう、とか(ま、実際そこまでのことは今までありませんが……)。
取材記事だったら取材先のチェックが入るのは当たり前なので、多かれ少なかれ、どこかが直されているのは、まぁ普通のことと捉えています(何もないのが一番なのですが)。
で、今回のは、とあるシンガー・ソングライターのインタビューだったのですが、ところどころに修正、というか付け足しの言葉や情報が入っているのが分かりました。
なるほど、、もうちょっと気を効かせてあげればよかったなぁ、と思ったのはもちろんなのですが、今回はなぜか反省よりも、いい記事ができた! という気持ちのほうが大きかったのです。今までには感じたことのない、とても不思議な感覚でした。
なぜか、と考えてみると。
まず、僕は原稿を書くとき、インタビューの場合はその人になりきって書く。取材時のその人の印象をもとにして、その人の言葉遣いや、自分のことを「私」と言うか「僕」というか、など(さすがに「俺」と言っている場合は自粛することがほとんどですが……)。
今回の修正は、ただ機械的に自分の言いたいことを原稿に追加した、というのではなく(そういう場合はとてもちぐはくな文章になり、読者の方も「ここ、修正したな」と気付くことも多いのでは、と思います)、僕が作ったその人の言葉に乗っかって、そして読んで思い出したのでしょう、「あ、そういえばこんなことも言っておけばよかった」ということを付け足して修正をしてくれていたのです。基本的な構成と文章は僕が作り、それをもとに、その方がブラッシュアップしてくれた、みたいな。そこにある種のリスペクトを感じたのです。
ひとことで言えば、コラボレーションしたような感覚。
これって、僕が今習っているギターも、やっていることは同じなのではなかろうか。
僕は、自分でやりたい曲を選び、コード進行や構成がどうなっているか、下調べをして先生のところに持っていく。そこを出発点として、修正や「バッキングはこうしたらいいんじゃないだろうか」という教えをいただく。そして「基本形」を作る。
それをまず練習して、できるようになってくると、たとえばバッキングのパターンを少しいじりたくなってきて、いじる(しかも勝手に……)。でもそこは大きく逸脱してもいないし、それに関しては何も言われたことはない。だけど、こちらが何かやれば、先生は演奏内容で返してくれる(気がする)。その逆は、自分はまだできていない。。
つまり、2人でギター向き合って音楽を作っていく作業は、たとえレッスンであってもコラボレーションなのだ、そうでなくてはならぬ、と今回の原稿を見て思ったのでした。
誰か2人が出会えば、それはコラボレーションなんだ、そういうことだな。。
と、いうことで、まとまったような、まとまっていないよいうな。。