旅先で聴いた音楽というのは、何かと心に残っているものです。
先日、この記事を書いて、もうひとつオアシスの曲について思い出しました。
もうかれこれ10年くらい前にロンドンを訪ねたときのこと。
地下鉄の駅で〝Live Forever〟を思いがけなく聴いたのです。学生時代に初めてロンドンに行った時に、HMVかなんかでシングルを買った想い出の曲です。
まぁ、それはともかく。
ロンドンの地下鉄では、ライセンスを持ったミュージシャンが決められたスポットで演奏をしています。
土門秀明さんの『地下鉄のギタリスト』を読むと彼らの事情とか、よく分かります。
そのときは取材でロンドンを訪れていて、その日の夜はピカデリー・サーカスの駅で降りました。何の用事だったかはまったくもって憶えていません……。
この写真はピカデリー・サーカスではないのですが(なぜかロンドンの写真はHDがイカレるとか、いろんな事情でほとんど残っていない。なぜかロンドンの写真だけ……)、ロンドンの地下鉄は古く、つまりは駅も古いので、このように細い通路が、まるで蟻の巣のように張り巡らされています。
なので、誰かが演奏していても、どこかから聞こえてくるだけで、奏者に出会えないこともあります。その夜も、どこからかカントリー系の曲を歌っている女性の声が聞こえてきましたが、結局会えずじまいかな、と思って歩いていました。
そうしたら、最後の最後に、出会うことができました。地上に出るエスカレーターのところに、彼女がいたのです。金髪を肩のあたりまで下ろし、白いYシャツにジーンズを履いて、アコギ1本で弾き語りです。あぁ、綺麗な声だな、と思いながら、エスカレーターに乗りました。
と、そこで「あ」と思ったのです。
これ、〝Live Forever〟じゃん。
カントリー風にアレンジされて、すっかり軽くなっていましたが、逆に切ない感じが表に押し出されている感じがします。
なんと。
しかし、ピカデリー・サーカスのエスカレーターはとても長く、しかもカメラマンさんと一緒だし、(憶えてはいないのだけれど…)誰かが地上で待っている。一所懸命振り返って彼女の姿を確認するだけしか自分はできませんでした。
しかし彼女の姿はどんどん小さくなり、〝Live Forever〟はやがてピカデリーの喧騒へと変わっていく。オアシスは学生の頃に少し聴いただけ。だけど、遠くに行ったと思っていても、ふと僕の歴史の中に現れたりする。不思議です。
もしあの時、エスカレーターを上がりきったあと、自分がもう一度降りていって、コインを投げるなりなんかしていたら、想い出はたぶん違ったものになっただろうし、曲の印象もまた変わったはず。「いやぁ、ちょっと戻って聴いてみたら、それほどでもなかったよ」なんてことにもなっていたかもしれません。
やはり、あの時は、振り返るだけでよかったんだ。
このときのことを考えると、この映画を思い出したり。
音楽と記憶というものは、切っても切り離せないもので、何年か前に土門さんを取材する機会をいただいたときにもこのときのことを思い出しましたし、今後も何かにつけ思い出すのでしょう。
いつか、〝Live Forever〟を演奏しましょうか。